【導かれるような出産】娘の出産ストーリー 坂の上の病院にて【保険適用外】

query_builder 2024/05/06
生命保険医療保険

2人目は開業間もない病院で出産


1人目…長男の時は千葉の鴨川に半月以上滞在するというリゾート出産でした。

2人目も同じように亀田総合病院でと言う気持ちもありました。

亀田でなくても里帰りして実家の近くの病院で出産しようかとも思ったのですが、

地元で産むことにしました。


理由は長男の保育園。

余り長期で休むわけにもいかないし、いつも通りの生活が望ましい。

そんな訳で地元で産むことにしたのです。


妊娠は婦人科で判明。

妊娠してから病院探し。

安全面を考えると市民病院が一番良いけれど、総合病院なので、新生児の兄姉であっても子どもの面会不可。

2人目を生むには相当大きなメリットあり。

その市民病院から徒歩圏内の産婦人科。

市民病院の産婦人科医長の奥様がやっている病院で、何かがあった時の大病院の連携は万全。

地元の評判も高い病院。


他にも産婦人科は多数あり…どこが良いかなと思いママ友にさりげなく相談。

ママ友が柿生にある芥川バースクリニックと言う病院を教えてくれました。


慈恵医大の産婦人科医長を長く勤めていた先生が作った病院で

妊婦の希望を可能な限り叶える出産をしてくれるとののこと。

まだできて1年ちょっとの病院でしたが、評判は上々とのこと。


当時、曙橋まで通勤していたため、柿生までは通勤定期券内…。

そんなこともあり芥川バースクリニックを選んだのです。


臨月に起こった小事件


1人目の時もそうでしたが、つわりもなく、順調な出産。

3月終わりに産休に入りました。


長男の時は産休後程なく転院しましたが、今回は転院の必要もなく、町田で生活。

4月に入ってから両親が団地内に部屋を借りて、手伝いに来てくれました。


臨月に入っても母子共に順調…だったのですが、ちょっとした事件が…。


長男とお風呂に入っていた時です

お腹の中にいた長女が大きく動きました。

お腹の中でグルンと回転したような…。


翌日は妊婦検診…今回も母子共に順調だったのですが、何と長女が逆子になっていました。

臨月で胎児が逆子になってしまう可能性は低いはずなのですが…。

長男が大きかったので、子宮に余裕があって、臨月でも動きやすかったのかもしれません。


臨月で逆子だと、帝王切開に切り替える病院も多いようです。

逆子を戻す方法はあるけれど、腕の良い医師でないとできないそう。


芥川バースクリニックの院長先生は逆子を直してくださいました。

ところが、次の瞬間、クルンと回転して逆子に戻る長女。

再び逆子を直してもらえたのですが、ご不満なようでお腹の中で長女は大暴れ。


しばらく休んで様子を見ましたが、その日は逆子に戻らなかったため帰宅。

念のため、翌日見てもらいに行くと…見事に逆子に戻っていました。

先生は三度逆子を直してくださいました。

長女はお腹の中で足をバタバタさせて猛抗議…。


また逆子に戻ってしまう可能性も高かったため、念のために1週間後に診てもらう事に…。

この時、逆子に戻っていたら、本人の医師なので帝王切開出産にしようと内定。

1週間後、逆子に戻っていなかったため、通常分娩での出産が決まりました。


計画分娩のはずが…


2人目は計画分娩で産むことにしていました。

計画分娩日は4月23日に決定。

前日の22日から入院。


入院時は両親が車を出してくれました。

長男(当時2歳11か月)も一緒です。

入院するのは私だけなので、長男は両親が連れて帰ってくれました。


駐車場まで両親と長男を送っていったのですが、別れ際、長男は不安げでした。

保育園以外で母親と離れるのは初めてです。

大好きな祖父母と一緒とはいえ不安なのは当然です。


しかし、車が走り出してしばらくすると幼いなりに察したようで長男はいつも通りになったそうです。


病院に残った私は、出産前日のため、病室でノンビリ過ごしました。

22時過ぎに、翌日の計画分娩に向けて、胎児の状態をチェックしたのですが、長女爆睡中。

完全な形での検査はできずに終了。


検査終了後はゆっくり過ごし就寝。


4月23日、計画分娩当日。

6時から検査のため、検査室へ。

この時、お腹が痛いなとは感じていました。

が、激しい痛みではないから、お腹の調子でも悪いのかと思っていました。


ところが、検査室に行くと、もう子宮口が開いていて、長女が降りてきていたのです。

お腹の痛みは陣痛でした。

そのまま慌ただしく出産体制に入り、8時18分出産。


本来なら9時頃から分娩誘発剤を投与し、早くてお昼過ぎに出産予定。

が、薬を投与する前に長女は自分で出てきました。

分娩時間2時間20分の超安産。

何かに導かれるように生まれてきたのです。


長女は祖母の生まれ変わり?


計画分娩が予定通り行われていたら、長女はお昼過ぎ以降に生まれる予定でした。

お昼過ぎに主人と長男、両親が病院に来ることになっていました。

立ち合い出産はしないけれど、生まれるのを病室で待っている予定でした。


ところが、朝早く自分で出てきました。

前日夜の検査の時、熟睡していたのに…。

陣痛を陣痛と気づかなかった私も私ですが…。


当日、入院して計画分娩開始…でなくて良かったです。

早朝から検査が入っていたのも幸いしました。

が、計画外の事が起きて病院も私も戸惑い気味。


「家族に連絡しないと」

そう考えるまで少し時間を要した気がします。


まずは夫に連絡。

両親とも相談の上、予定通りお昼頃病院に行くと思うとのこと。


続いて両親に連絡。

すると電話の向こうが何だか慌ただしい…。

私の父方の祖母が100歳で亡くなったとのこと。

時間は未明。

祖母が亡くなって、入れ替わるように娘が生まれてきたのです。


娘は何かに導かれるように生まれてきました。

娘を導いてくれたのは祖母(娘にとっては曾祖母)だったのではないかと思っています。

陣痛が軽かったのも、安産だったのも祖母が見守ってくれていたからでしょう。


話がそれてしまいましたが、電話の向こうが慌ただしかったのは祖母の訃報が入ったからでした。

母親の死と孫誕生がほぼ同時に起きて、実家は大わらわ。

父は翌日には祖母の葬儀のため故郷(福島県いわき市)へ。

母は本葬のみ出ることになりました。


祖母は敬虔なクリスチャンでした。

葬儀もプロテスタント式。

葬儀では娘の誕生の事が少し触れられたそうです。

キリスト教には生まれ変わりと言う考え方はなけれど、

仏教だったら娘は祖母の生まれ変わりと言われていたでしょう。

との牧師さんのお言葉。


祖母は太平洋戦争の終戦を中国で迎えました。

泣く泣く我が子を中国に残して帰国した人も多い中、

乳児(父と父の兄)を2人抱えて無事帰国した頼もしい人でした。


裁縫が得意で幼少時には私にも洋服を作ってくれました。

私がプロテスタントの高校大学に進んだことを喜んでくれていました。

祖母と一緒に津田沼の教会に行ったのは良い思い出です。

祖母も孫と教会に行けたことが嬉しかったようで日記に書いてあったとのこと。


激動の時代を生きた祖母。

長女はその生まれ変わり?

何となく似ている所もあるような…。


出産には出産の数だけドラマがあるのです。


ちなみに今回の出産は完全に普通分娩なため、健康保険適用外・医療保険の給付金対象外。

が、計画分娩の薬剤費等が一切かからないため、費用負担は少ない出産。


鴨川滞在して、計画分娩(誘発剤使用)、吸引分娩だった長男の時とは対照的な出産でした。


今回は以上です。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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元生保レディの替え歌研究所

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