2001年3月に自ら進んで生保業界を去った私ですが、約5年後の2006年5月、保険屋に戻ることになります。残念ながら「生保セールスという仕事の素晴らしさを再認識した」「充実した日々が忘れられなかった」等の前向きな理由での復帰ではありません。
5年間派遣を中心に働いてきましたが、自分が社会人として使い物にならないことに気づいてしまったのです。私が何とかこなすことができた仕事が保険営業でした。大手国内生保の1年半は、それなりに楽しかったし、実績もそれなり…優秀な営業職員ではなかったですが、少しは使い物になっていました。
3社目の会社の派遣終了が決まり、仕事を探し始めた時、目につくのは生命保険関係ばかり…。ただし、国内生保の営業職員には戻りたくなかった…。そんな時に見かけたのが、1社専属の代理店の求人でした。「電話営業」「契約社員だが、正社員登用あり」「固定給+インセンティブ」の3点に惹かれて応募。内定を貰えました。そして2006年5月、無事入社したのです。
入社2年目の出会い
入社して最初の半年ほどは思うように売れない日々が続きました。が、クビにならない程度は契約をもらっていました。が、周囲に比べると売り上げが少なかった。ところが、徐々に売れ始めて、翌年は営業成績が全社で2位になりました。なぜ、売れるようになったのか?あるお客様との出会いがきっかけで、私の保険営業に対する意識が変わったことが、一番大きな要因と感じています。15年以上経った今でも忘れられないお客様です。ここではAさんと呼びたいと思います。
子どものために働くシングルマザー
Aさんとの出会いは、2007年の2月か3月だったと思います。育児雑誌の広告を見て資料請求してくださり、私が担当になりました。担当になった直後から電話はしていましたが、なかなかつながらず…。そのうちに申込書が届きました。郵送された資料を見て、申込書を書いて送ってくれたのです。ここまではよくある事。が、ここで問題が発生しました。
Aさんが申込んでくれたのは医療保険と学資保険。そのうち学資保険が対面でないと申込めない商品でした。その旨を説明して、ご自宅までお伺いする約束をしました。Aさんはシングルマザー、小学1年生の息子さんを育てながら、正社員として働いていました。年度末ということもあり、とても御多忙だったのですが、夜の時間帯ならと訪問を了承してくれたのです。
ところが、当日朝になって、キャンセルのお申し出…。仕事が忙しく、どうしても約束の時間には帰宅できそうにないとのこと。学資保険は今回は諦めて、医療保険のみ申込むことになりました。この時、学資保険の代わりにもなる終身保険を案内しておけば…と今でも思います。
お申し込みから半年ほど経った2007年8月、Aさんから保険の請求がありました。乳がんで入院と手術をしたので、入院給付金を申請をしたいとのこと。保険についても相談があるとのこと。
がんになって初めて考えた「自分の死」、残された我が子のこと
保険会社の担当部署から連絡があった時、強い衝撃を受けました。
「あのAさんが乳がん?あんなに元気そうだったのに…」
私は保険屋です。それも、「がん保険といえば」の代理店勤務。乳がんは早期発見できれば高い確率で治ることを知っていました。しかし、治療の副作用が辛いという事も知っていました。子どものために懸命に働くAさんが乳がんなんて…何かの間違いではないかと思いながら電話を掛けました。
Aさんは、乳がんを早期発見できていました。1週間ほどの入院と手術で治療は終了。抗がん剤やホルモン療法は受けなくても大丈夫とのこと。乳房も大きく切らずに済んだそうです。
それを聞いてホッとしました。乳がんは比較的早期で発見できても、抗がん剤やホルモン療法を受けることが多い病気です。抗がん剤もホルモン療法も辛い副作用が出ることが多いのです。女性にとって大切な乳房を切除しただけでも辛いのに、その後の副作用も辛い…苦しんでいる人が沢山いる病気なのです。
Aさんは抗がん剤もホルモン療法も受けずに済んだ…これは不幸中の幸いです。仕事にも退院後程なく復帰でき、以前と同じように働いているとのこと。が、大切な胸の一部を切ったのだから辛い思いはしたと思います。が、Aさんの最大の苦しみは胸を切除したことではありませんでした。
「丹野(私の旧姓)さん、私は今まで誰よりも健康で、自分が死ぬなんて考えたことがなかったの…。でも、乳がんと宣告されて…。いくら治る確率が高いと言われても、がんはがん…。自分の死について初めて考えた。大好きな息子の顔が浮かんできて…私が死んだら、この子はどうなるのだろう…私、この子に何も残してあげられない…目の前が真っ白になった。」
落ち着いた口調でAさんは話してくれました。落ち着いた口調だけにAさんの辛さが伝わってきて、こちらも辛い…というより申し訳ない気持ちになりました。Aさんは続けます。
「今まで死亡保険なんて必要ないと思っていたけど、子どもに確実に財産を残してあげられるのが死亡保険でしょ?もし、今から入れる保険があったら、すぐに入りたいの。」
病気になって初めて実感する保険の大切さ。でも皮肉な事に病気になってからでは入れる保険は限られてしまうんです。特にがんの治療直後は入れる保険はないに等しいのです。が、私が扱っていた商品には一つだけ入れるものがありました。無選択型と呼ばれる終身保険(一生涯の死亡保険)。
一つだけ入れる商品はあるけれど、条件は悪いことをAさんに説明。結局、Aさんは一番高いプランで入ってくれました。でも、私は全く嬉しくありませんでした。半年前、Aさんの本当に必要としていたものを把握できていたら、Aさんの辛さや苦しみは軽くなっていたのに…。保険屋として申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
Aさんが本当に必要としていたもの
2007年の2月か3月にAさんが申込んでくれたのは、医療保険と学資保険です。
学資保険はお金を貯める保険です。18歳…大学や専門学校に進学する時期に祝金が貰える保険。それなりに高い戻り率で、確実にお金を貯められる…当時は人気の商品でした。が、保険の機能はないに等しい。契約者に何かがあった時は、払った保険料が返ってくるだけ…そんな商品です。一定の時期までに効率よくお金を貯めるという意味ではとても良い商品です。
申込当時のAさんが望んでいたのは、学資保険でした。女手一つで育てている大切な息子さんの学資金を効率よく貯めたい…そんなAさんの願いを学資保険は叶えることができます。が、それはAさんが「元気でいれば」という条件付き。Aさんにもしもの事があったら、払った保険料が戻るだけ…。掛け金が払えなくなってしまったら解約するしかありません。18歳まで続けることが前提なので、途中で解約しても、戻ってくるのは払った保険料と同額程度…。実は学資保険はAさんの希望の一部しか叶えることができない商品だったのです。
Aさんの願いは「可愛い我が子を一人前にしたい」親共通の願いです。将来のためにお金も増やしながら、「もしもの時」にも備えられる…そんな商品であったら、Aさんの希望の大部分を叶えることができます。そんな商品…あるかどうかは保険会社によります。でも、当時私が取り扱っていた会社にはありました。学資保険ほどの利率ではないけれど、結構高い利率で解約払戻金が貰える商品でした。こちらであれば、郵送での申し込みも可能でした。この商品を最初に申し込みがあったときに、「学資保険の代わりにいかがですか?」と案内していたら、Aさんは入ってくれたことでしょう。もし、あの時、あの保険に入っていたら、Aさんはがんと宣告された時、「保険に入っておいて良かった」と思ってもらえた事でしょう。
母になって思うこと
Aさんに出会って1年後の2008年3月、私自身が大腸がんに罹患しました。私も入院と手術、半年間の抗がん剤治療だけで治療終了。仕事復帰も早かったですし、復帰後も収入は減りませんでした。でも、結婚を控えている時期で…やはりショックでした。がん宣告時に思い出したのはAさんのことでした。
その後、2013年に長男、2016年に長女を出産。大変だけど楽しい子育ての日々。子ども達への思い…。母になって、初めて気づいた事が沢山あります。そして、ふとした時に思い出すのがAさんの事です。
あれから16年の月日が経ちました。当時7歳だったAさんの息子さんは23歳。もう大学を卒業している頃ですね。お母さんの愛情を沢山受けて、立派な青年へと成長していると思います。
Aさんは当時40歳くらいでしたから、今は50代後半。乳がんも無事完治して、元気に働いているでしょう。息子さんを一人前に育て上げ、ほっと一息…これからは自分の人生を楽しもうと色々計画を立てているかもしれません。
今、改めて伝えたい。あの後、保険屋として色々な事がありました。でも、腐らずに、会社を変えながらも保険屋を続けて来られたのはAさんのお陰です。Aさんは私に保険屋として大切な事を教えてくれました。Aさん、ありがとうございます。
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